

2002年の映画だそうで、いまさらながらという感じで見てみました。レビューサイトサイトでも酷評されていたりと意見を二分するこの映画、興味本位で見てみました。実際見てみると…まぁ、酷評される理由も支持する人もいるのもよくわかります。結論からいえば、限りなく中途半端に近い早すぎた名作、ということになるのでしょうか?それは「機動警察パトレイバーとはなんぞや?」という話になるでしょう。原作の漫画版、OVA版、テレビアニメ版そして劇場版とみてきた自分にとっては、このそもそも論がこの映画の問題点となっているのではないかと感じました。

このパトレイバーという作品は長らく特車2課第2小隊の日常(と非日常)を描いてきており、さらに劇場版は押井監督の独特な世界観、哲学的に語りがあるというイメージが既に出来上がっており、それに対する違和感として出てきたものが今回の映画の批評となっているのではないかと感じています。この場合、この映画に対して取れる態度は「これまでとは別個の作品である」ということをどれだけ認めることができるのかという点から出発するほかなく、認めることができない人間は「これはパトレイバーではない」と酷評し、認めることができた人間は「味がある作品だ」「よくできている」という評価することになります。

しかし、ここで問題が一つ出てきます。それは「この作品を『機動警察パトレイバー3』としていいのだろうか?」ということだ。登場人物や世界観、原作など少なからずパトレイバーの要素は踏襲しているものの、レイバーの露出の少なさや刑事中心のストーリー、押井作品のような哲学性の少なさなどといった本来の歴代作品とはまったく違った要素が強い作品を連続性のある形で3と出すことへの問題はあるのではないかという疑問が残ります。

もちろん、作品としては酷評されるほどの出来ではなく、淡々としかし確実なストーリー展開に音楽や間の取り方、演出がこれまでの劇場版を踏襲しているのは評価できます。そういえば劇場版3作品全部ネガティブ・陰気・暗いそしてオジサンが渋いイメージが伴うのは面白く、中年男性の悲哀と孤独から出てくるこの世の不条理を語らせなお、強さと弱さを表現させています。しかし一方でこの作品では後藤隊長の性質は昼行燈でもなく、カミソリの後藤でもない。情報通の親友?という立ち位置にしか見えないし、最後の米軍や上層部の伏線や掲示板の情報もそれが何を意味するかわからないまま終わっていった感じです。パトレイバーとして、またストーリーとして中途半端さが目立ちます。

よくいえば時代が悪かったのか、新しい何かを模索した為か、「スピンオフ」という言葉が確立していれば「WXⅢ-機動警察パトレイバー-」というスピンオフ作品として成り立っていただろうし、続編や警察アニメドラマも期待できたでしょう。パトレイバーの要素をできるだけ残し、しかし刑事・人間ドラマとして昇華させた点では評価できるので、惜しい作品であるのかもしれません。
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